樋口明宏:見立て |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2011年 4月 19日 |
それはまるで雪解けに起こる雪崩のように、何かがいっきに崩れおちていく感覚に近いかもしれません。樋口明宏の作品は私たちの中に当たり前のように存在していた固定観念のようなもの、あるいは揺るぎない信念のようなものを、打ち砕くような痛快さがあります。 仏像の上には見立ての神様が鎮座する「修復 - 神仏習合」のように、目の前にあるものをまずは疑ってみることから始めよう、そう言わんばかりに、樋口の制作にかける思いと、生きることそのものがイコールになっていると強く感じることができます。作品の土台となる素材もしくはモチーフたちは、本来の役割をとうに捨て去り、再構成され、全く新しいモノへと変化します。それらは例えば剥製、標本、仏像といった具合に、長い時間が育んだ美しい素材から、新しい価値が生み出されていくのです。 素材本来が持つ魅力をそのままに、遊び要素を加えていく樋口の作品は、あまりにも本来の状態や文脈とは掛け離れ、ショッキングに映ることがあるかもしれません。しかしそれは、あまりにも自明的で、普段気にもとめない出来事にもう一度、脚光をあてることにもなるのです。例えば今回展示する「ヒョウの骨」や「ブルドックの頭骨」といった作品を観た時、私たちは骨の形状や色など、本来の姿形を必死に思い出そうとすることでしょう。否応無しに私たちは、当たり前だったはずのことを問い直す必要に迫られるのです。それは、ただひたすら反発することでポリティカルなメッセージを掲げるというやり方に終始していない、樋口の作品の奥深さでもあります。または、変わらない為には、常に変わり続けなければいけないということを逆説的に訴えるかのようです。 そして、私たちは最後に必ず頬をゆるめてしまうことになるでしょう。作品にはお口直しと言わんばかりに、誰もがつい吹き出してしまうような、ユーモアが添えられているからです。どの作品もその佇まいたるや潔く、そして堂々と見えるのは樋口の制作することへのひたむきな愛情を伺い知ることができるからではないでしょうか。 今回の新作展「見立て」では一体どんな比喩遊びが飛び出すことか、どうぞお楽しみください。 樋口 明宏 個展 ※全文提供: MA2 Gallery 会期: 2011年4月23日(土)-2011年5月22日(日) |
最終更新 2011年 4月 23日 |
わかりきっているものも、組み合わせによって、違和感を生み出す。違和感は面白い。本展覧会で並ぶ作品は、パンツ型が切り抜かれた虎の皮の剥製であったり、標本にされた蛾の翼の模様かと思ってみたものが極彩色で描かれた名も無いレトロなキャラクターであったりする。一つ一つは見慣れたものも、「あたり前」の約束事が少しずらされただけで奇妙になる。意外な合わせ方に笑った後で、何が違っているのかと問い、自分の中にあった肯定観念が露になっていく。
宗教的、政治的なものがテーマかと思わせる作品もあるが、メッセージ性を重視しているのか組み合わせの妙を示すことに注目しているのかが不明な点は惜しい。しかし、鑑賞者が笑いながら考えてしまう体験は貴重だろう。