展覧会
|
執筆: 記事中参照
|
公開日: 2011年 9月 05日 |
作家コメント 2010年冬、展覧会の打ち合わせのために神奈川県の葉山を訪ねた時でした。 美術館の前に広がる海岸に出て、日が沈むまで打ち寄せる波に見入っていました。 近年、〈深韻―存在が開示する不可知な陰影や奥行き〉をテーマに制作を進めてきた私にとって、生命と虚無、創造と解体、すべての源である海は、まさに〈深韻〉そのものでした。 この時の海をモチーフに試行錯誤を重ねていた最中の3月11日、大津波が東北地方を襲いました。 未曾有の大災害に、実際に被害にあわれた方々のことを思うと心が痛み、海を描いた作品など、人々に恐怖をよみがえらせるだけかもしれないとも思いました。 しかしながら、存在の圧倒的な不条理性を突き付けられた私たちは今、この不条理を超えるために、存在に対する畏怖の念を、そして〈まなざし〉の根源的な転換をこそ、求められているのではないかと思います。 全ての形態と色彩を内包する海の、そのすべてを描きだすことは到底不可能だけれども、御そうとする意識と現象(自然)に委ねる感覚のせめぎあいの中から絵画として紡ぎだせるものがあれば、キャンバスの上の油絵具は単なる物質を超えて、見る人の意識が存在の奥行きへと向かう契機ともなるのではと思いながら描いています。 ある一定の秩序のうちに形成された波がその波頭から崩れる瞬間。紺碧の深さに、夕暮れに複雑さを増す水色(光)に、その両義的な存在の気配を抽象するため、今回はいつになく、(いつもですが)絵具の物理的現象がイメージを形成する瀬戸際(光になる瞬間)を探り、(混色して得たグレーが画面上でそれぞれの色彩を取り戻すという様な)不確定な要素に翻弄されながら描くことで、見えないその向こうに信じて賭けるという事を実践してみる、という、絵かきとしてはかなり邪道な方法をあえて選択してみます。 あれから早くも半年が経とうとしていますが、震災で亡くなられた方々のご冥福と、被害にあわれた方々が一日も早く平穏を取り戻されることを、心からお祈りいたします。
児玉靖枝 1961年、兵庫県生まれ。1986年、京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了。1986年、アートスペース虹にて、初個展を開催。以降、トアロード画廊(神戸)、石屋町ギャラリー(京都)、東京画廊(東京)、セゾンアートプログラム・ギャラリー(東京)、Oギャラリーeyes(大阪)、ギャラリー21+葉(東京)等で、個展を開催。主なグループ展として、1992年、「筆あとの誘惑」-モネ、栖鳳から現代まで-(京都市美術館)。1994年、VOCA展`94(上野の森美術館※以降`96`97年にも出品)、「光と影」-うつろいの詩学-(広島市立現代美術館)。1995年、視ることのアレゴリー(セゾン美術館)。1996年、水際-日本の現代美術展-(ヨコハマポートサイド ギャラリー)。1999年、「現代日本絵画の展望」(東京ステーションギャラリー)。2002年、未来予想図―私の人生☆劇場(兵庫県立美術館)。2007年、「DIALOGUES」 Painters’ Views on the Museum Collection(滋賀県立近代美術館)。2010年、館蔵油彩名品展-資生堂ギャラリーと戦後の洋画と(資生堂アートハウス・静岡県)、プライマリー・フィールドⅡ: 絵画の現在-七つの〈場〉との対話(神奈川県立近代美術館・神奈川)等、他多数出品。
※全文提供: Oギャラリーeyes
会期: 2011年9月5日(月)-2011年9月17日(土) 会場: Oギャラリーeyes
|
最終更新 2011年 9月 05日 |