展覧会
|
執筆: カロンズネット編集
|
公開日: 2010年 5月 26日 |
「無力の美術」 今回のエキシビジョンタイトルとして、こう付けた。
ある意味、受けを狙ったような、非常に浅はかな言い方かもしれない。或はタイトルにしては、とても卑屈なことばかもしれない。実際、付けた自分自身未だに悩み、気恥ずかしい思いさえある。
しかし現実は「そう」思うし、「そう」である。現在の社会に於いての美術。その“社会に於いての美術”の世界における自分自身の存在、が無力である、ということ。断っておくが、現代の美術界に尽力されている方々を悪戯に煽ったり卑下した意味ではまったくない。しかし現実としてはこういった考え方、つまり美術が社会に対して無力である、と言う意見は必ず耳にする。そこで、この状況で、自分は何をしていったらいいか、すべき事は何か。
作品のなかの、透明の樹脂によって固められた言葉たちは、投げっ放しで曖昧で、意味が分からないと思う人もいるかもしれない。このステイトメントがやや大仰な割には、作品そのものは、非常に個人的とさえ思える内容かもしれない。芸術表現というものは、誰もが思ったり、感じたりしたことをそれが悪い事であれどうであれ、そのままを表現する、ということではなく、それを抽象化し作家がその抽象化された、言葉でも音でも視覚でもない『何か』を形成することで「作品」として世の人々に提示する、という事が作家の使命ではないのかと考える。表現としての抽象/具象ということではなく。その『何か』は恐ろしいほどにドロドロし、色という色ももっておらず、例える事は難しいモノである。ただ、そこにあるものと、それを表現したものとでは=(イコール)ではなくあくまで≒(ニアリーイコール)に他ならない、あくまで、作った人間の未熟さであるとか、社会背景的なものも含めて。代わりのものに過ぎない。
自分の場合、樹脂でそれをカタチにしてみた。[plastic]には形成する、という意味と、俗語ではあるが、偽物の、又は人工的な、と言った意味がある。
ここに並べられた作品たちは、故に「本物」ではないかもしれない。悪趣味に、観客を試しているのかもしれない。作家自身が観客とそれ以外に試されながら。少しでも何かを変えようとする気概を生むために。
作家略歴: 1975 東京都生まれ 1997 文化学院 専門課程美術科卒業 1999 文化学院 付帯教育版画研究科修了
個展: 2004 「SCREEN PRINT EXHIBITION」ギャラリーQ、東京 2005 「 『C』‐恣意‐」ギャラリーQ、東京 2010 「無力の美術」ギャラリーQ、東京
グループ展: 1998 「 "G" 」文化学院画廊、東京 1998-02 新井画廊、東京 1999 「プリンツ21グランプリ展」ザ・ギンザアートスペース、東京 2004 「Last Spurt展」ギャラリーQ、東京 2005 「Last Spurt展」ギャラリーQ、東京 2006 「色と形を遊ぶ展12」ギャラリーサカ、六本木 東京 2007 「The Party展」ギャラリーQ、東京 2008 「lost and found」ギャラリーQ、東京 2009 「lost and found-2」ギャラリーQ、東京
その他: 2004 ART BOX NEW PRINTERS FILE掲載
※全文提供: Gallery Q
会期: 2010年7月5日-2010年7月10日
|
最終更新 2010年 7月 05日 |